20230623

Twitterで見かけた、「親の呪い」ってワード。これはいわゆる「毒親」についての話だったけれど、ふと考えてみると「親の呪い」って誰しも持ってるものだと思う。それは特別な「毒親」のそれとはまた違うもので、わかりやすく言えば「親の価値観」。

子を育てる親は「自分が正しいと思っていること」をベースにするでしょう。私もそうだ。子どもの根本的な価値観、判断基準は親の持っているそれに準じている。少し親を離れて小さな社会に出た時にはじめて、他人の価値観に触れる。そこで自分の持っているものと他人の持っているものとの違いを感じて、微調整していくものだと思う。

最初に受けつけられるその価値観が「親の呪い」。違和感を感じずにそれが絶対であると信じ切ったまま大人になるのって、すっごく怖いことだなと感じています。

極端なことを例えば、親が「お金がないときは人のものを活用しよう、それが助け合うことなんだよ」という価値観をもっていたとする。お金がないと感じた子はお店から勝手に盗んだり、お友達のものを奪ったりすることで「私がお金ある時に返せばいいんでしょ。それが助け合うってことだよね」と思ってしまうかもしれない。
でもそれは間違ったこと。それに気が付けないんだとしたら、怖い。

そこまでじゃなくても、たとえば「XX歳までに結婚して子を産み育てる」という価値観もある。親の希望や理想が、まるで「守らなければならないルール」でありそれから外れたら自分に価値がないと思ってしまう。これ、すごく多いのではないでしょうか。親が生きた世界(社会)ではそれが正しくて幸せになる道の定番スタイルだったかもしれないけど、子が生きている世界(社会)で同じことをするのは難しくなっていたりするのである。それなのに、がんとしてその価値観をアップデートせずにいると必要ないところで躓いたり悩んだりするのだろうなあ。

しかもその呪い(価値観)って、無意識のうちに古い社会のものから脈々と受け継がれているものだから、まったく自覚はなかったりする。ポジティブな意味で「これでいいのよ」と思ったことが、自分にとっては救いであっても、子にとっては呪いに転じてしまう可能性があるのだから、とても怖いと思う。

なので、いわゆるどの時代にもだいたい相当する「ひとをころしてはいけない」「きずつけてはいけない」みたいな基本的なこと以外は、どこかで「これはあくまで親の価値観。私は違う」っていう切り分けができるようになるのが理想。そう考えると、反抗期のない良好な関係性よりも、いつも親のすることに反抗的で疑念をもって自分で考えていける&親もそれを当たり前を思って口出しをしない関係が良いのかもしれない。

「あなたはそう思うのね、でも私はこうなんだ」とそれぞれに自分の道を歩くようになると良いなあ。マウントとらず認め合える関係って、親子でも夫婦でも友達でも、良いよね。

イラストは冷奴(と、しろくま)。葱にかつぶしに醤油。が、スタンダードだと私は思っている。そういえば食にも価値観が出るし、親の食の好みは幼き時代の食卓に出る。たとえば好き嫌いが多い親の用意する偏ったメニューで子どもの可能性が変わるかもしれないし呪いになるかもしれないから、自分が食べない苦手なものでも栄養価の高いものを食べさせてみるとか、自分を基準にしすぎないのもだいじだなと思うなどした。

取り留めなく語りました。