かなり極端な話だけど、そんな教師だってゼロではなさそうに思う…

今朝、ニュースでみて気になった話題。大阪市が小中学校の学力が2年連続最下位となり、それを何とかしようと、生徒たちの学力テストの成績に応じて、その学校の校長や教師たちの評価やボーナスの額を変動させるという内容のことを市長が言っていると。会見も拝見しました。

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違和感しかない

確かに、教師たちが熱心に勉学を教えることが、その個人の評価につながるという図式は美しくも思えるけれど(というか、そんな教師はいっぱい評価してほしい!)、生徒たちの学力と、学校(または教師個々)の利益を結びつけることに違和感を感じました。

なぜかというと、学力よりも大切にしたいものがある生徒個人や、そのご家庭にとってはどうだろう。学力はとっても大切だと思います。可能性を広げるために。しかし、学校に通わせる意義は学力だけではないと私は思う。

もちろん、我が子だって勉強ができたほうがいいにきまっているが、それは我が子の学力が我が子のこれからの人生によい影響を与えるからである。教師や学校がたくさんお金をもらったところでそれがどうだっていうのだ…?もしかしたら教師は関係なく個人が頑張った結果であるかもしれないよね。塾や予備校で勉強した結果だったとしたらやっぱり不自然に思う。

もしそれが採用されたとして、大阪市の先生たちはうれしいのだろうか…?
「私は学力向上だけではなく、学力以外の豊かな人生を教えていきたい」という教師であれば、職を辞するのではなかろうか。

ところで学力最下位の原因ってそこにあるの?

そもそものこととして、大阪市の学力最下位の原因が「教師が生徒の学力向上をさせてやろうという努力が足りない」という前提はあるのだろうか。現在も努力を重ねている子ども、教師がいるのであればやはり苦痛でしかないのではないか。

「頑張ろう」と思うことはとてもよいこと。これで教師たちがこぞってやる気を出し、学校をあげて勉学のために最適な環境を作ろうとするのを悪いとは思わない。ただし、それだけになってしまう人が絶対に出てくると思います。学力だけ、勉強だけ、友達なんかいらない、楽しいことを取り上げる教師も出てきそう。先生の頑張りが子どもの成績アップにちゃんとつながるのか?という議論も必要だと思います。

極端かもしれないけれど

お金が絡むことで、「あなたたちが頑張らないから私が評価されない」と考えてしまう教師もゼロではない気がします。追いつめられたらね。だって校長先生&学校そのものの評価にもつながるんだったら、上からの圧力がかなりかかると思う。

お金で人の気持ちを動かして解決するっていう考え方も嫌だし、もし私が大阪市の小中学生当事者だったらすごく嫌な気分になるけどな。「先生、ボーナスのためにがんばってんだろうなぁ」ってなりません?今の子どもたちは情報はやいからね。大阪の子どもたちの感覚がどうかは私はわからないけど、納得はいかないな。

朝の情報番組「スッキリ」でも、視聴者アンケートはNOのほうが多かった。コメンテーターの「お金じゃなくて生徒や保護者からの感謝とか信頼とかのほうが先生たちのやる気につながるのでは」(というニュアンスのことをおっしゃってた)…という意見に大きく頷きました。だよなぁ、お金お金ってなってる先生を信頼なんてできないわ。評価は保護者&生徒からしてもらいたいよね?

サラリーマンの私でも、そりゃボーナス増えるならうれしいけど、それよりも実感としてそのあとのやる気につながるのは、顧客からの「いつもありがとうございます!来期もよろしくおねがいします!」という言葉だ。または、上司からの「よく頑張ってるな」という評価です。(賛否はあると思うけどね)

全国の教師の皆様、毎日お仕事本当に大変だと思います。たくさんの子どもの生活から勉強まで見ていただいてありがとうございます…!私は娘の小学校の先生にすごく感謝しています。