なにがもえつきるって、こっちが必死になればなるほど娘のテンションが下がっていくことですね…。実は1度とかじゃなく、定期的に「もうやめたい」モードはやってくる。この4コマは初めて言われた時の虚無感を表していると思ってください(笑)いや,でもよく考えたらそれが普通かな、とも思う。

ルーチンをつくるまでが大変。

それほど神経質でもなく、そして責任感もそれほど強くないんじゃないかと思っている自分なのですが、どのくらいの力加減でやればいいのかとか、その温度感が腑に落ちるまで時間がかかるタイプです、私。なので、「こうしてください」と言われたときに脳内で「とにかくそれを決められたとおりにこなさなければ」と思ってしまうため、どうにもヒステリックになってしまうことがあります。もうそれは性格だから直せと言われても、時間をくださいとしか言えないのですが(笑)そのため、周りから見るとだいぶヤバい母親に見える、かもしれない。「朝起きて」「起こして」「目を覚まさせて」「KUMONに取り組ませる」ということで頭がいっぱいだった最初(笑)今もまぁそうなんですが、初めの一か月はとにかく必死でした。そこが出てくるのが、「もうやめたい」という負の感情なわけです。

ついついやってしまうのが、「だってあなたがやりたいっていったんじゃない!」なんて責め方なんですが、これはなるべくやるまいと思っています…実際やってしまったこともあります。でも、私も娘もこんな壁があるとは思っていなかったんですよねぇ…。(壁とは、早起きのこと。)

そして燃え尽きる…しかしその前に。

そしてさらによろしくないことに、「私が自分のことじゃないのにこんなに必死にやってるのにどうして?」という虚無感。このやりとり、1か月の間に3回くらいはありました。でもそのたびにお互い思いなおし、かれこれ3か月目にはいっております。母親が陥りがちな「あなたのためにやっているのに」ていう考え方。そりゃ当然ですよ、自分だって遅くまで仕事や家事をして眠いのに、ひとあし早く起きて必死にデスクにつかせ、モチベーションを上げさせるために必死になるんですから(笑)でも、やっぱりそれは、自分が選んでやっていることだと認めるのがよいですね。

だって、選択肢のひとつとしては「自分で起きないなら放置する」というのもないわけではない。彼女がKUMONいきたいと言い出したのは事実だけれど、だれだっていつでも百パーセントにやる気があるわけではない。嫌になるときだって当然にあるわけで。

娘がKUMONに取り組む協力を惜しまない、と決めて行動してるのは自分だし、
やる気がアップダウンしてしまうのも致し方なし。

という聖人君子となって(笑)つきあっていくしかないんだろうなと思います。

アドラー心理学に置き換えて考えてみる

かつて、私も実家で暮らしていた「娘時代」には、母親は口うるさいなぁと思っていたものです。思えば、起こしてもらい、朝ごはんが出てきて、お弁当を作ってくれて、それで帰ってきたら夕ご飯が待っている。お風呂もできている。そんな生活を結婚するまでおくっておりました。つまりはあと15年くらい?は少なくとも、その役目が私にあるわけです。

多分、どんなにいろいろな面倒をみてくれる夫でさえも、この役割はできないだろうな~~と感じています。

「アドラー心理学」に、「他人の課題を抱え込んではいけない」みたいなのがあります。(詳しくないです!!)他人の人生を抱え込まないほうがいいという話で、私は「確かにそのほうが生きやすいよね!」と大変納得するものなのですが、

おそらくは、幼い子どもはとくに、母親は子どもの人生を抱え込んで生きるものなんだと思います。

小学生になって、それが少しだけ離脱したように感じていたのですが、こうして彼女自身に課題が生まれてくると、やはり自分のことかのようにかんじてしまう。それが母親のサガなのだろうなぁ。そしてこれがいつしかきちんと分かれて、娘の問題は娘が解決すべき問題、私の問題じゃなーい!と思えたときが子離れできるときなんだろう、と思っております。

KUMONの話、まだ続きます(笑)長い!