9月はやたら諸々制作に時間を費やしていただので、更新をすっかり忘れてました。大丈夫、健やかに生きています。ここのところ、活躍されている芸能人がみずから命を絶ったり、政治や社会が不穏だったり、相変わらずコロナウイルス感染症の感染者が毎日毎日報道されていたり、心が落ち着きませんね。

皆さんは、レジャーや旅行など楽しまれているのでしょうか。我が家はもともと旅行も帰省以外ほとんどしない価値観で、昨年アクティブに大阪に出かけたり映画を見に行ったり家族で動いていたので、それができなくてちょっと残念…というくらいで、それほど息苦しさを感じていません。(もともとテレワークだし、夫が週2テレワークでもとくに不便を感じない)

デフォルトでアクティブな暮らしをしていた人にとってはやっぱり窮屈かもしれませんよね…。だから社会的に許しが出たら範囲を広げて出かけようという気持ちも想像できるのですが、それでもやはり、細心の注意をしなければと思います。

どうやって生きようか…?

けして「出かけるな」なんて話ではないんです。私も電車を乗り継いで接骨院に出かけたり買い物に出かけたりギャラリーに出かけたりしていますのでね。ただ、すごく注意をしています。

乗り換える駅のお手洗いで手の消毒をする、マスクはつける、など。飲食店での外食はまだしていませんが、それでもテイクアウトのためにお店に入ります。飲食している人のそばにいたりします。アレコレするな、駄目、というつもりはいっさいありません。だって、小学校なんてマスクをしながらもあの空間で30人以上、向かい合わないけどマスクをはずして給食食べているんですよ。避けられません。万が一クラスターが出たらもうそれは仕方ないし、そうなる可能性が「まさか」ではないんですよね。

要は、この先、何年もかかるでしょうから…無くなることはないでしょうから…ワクチンができても100%かからないわけじゃないですから… ひとりひとりが気を付けるしかないなって思います。

ライブなんかは人数制限が出るでしょう。ゆくゆくはオンラインと併用で開催してほしいです。客席に行ける人も行けない人も好きな人がみんなで楽しめる。もちろん行けたら一番なんですけども、私はもともと、子どもを産んでからは夜遊びをほとんどしていません。今回の感染予防だけじゃなく「会場に行けない人」も参加できるようにすることでファン層も広がるので良いと思います。

ひとりひとり、好きなものことの楽しみ方が「自分なりの方法」になっていくんだろうなと想像しています。好きならこうしろああしろっていうスタイルもきっとさまざまになっていくのではないでしょうか。

我が家では

レジャーなどはできるだけ控える
無理せず楽しめる方法を模索する
外でお酒を飲むのはもうしばらく控える

てかんじになりそうかな。しばらくは。でもそれがちょうどいいと思う。全部「我慢」じゃなくて、向かい方を変えるみたいな。

小学校の話

娘が通う小学校の話も少し。子どもたち、本当に我慢して夏を乗り越えた。マスクを毎日つけて行っているし、給食も机は向き合わせずにそのまま、私語厳禁、なんだそうですよ。確かに一クラス30人以上もいるクラスの中でもしクラスタ発生なんかしたら大変だ。

娘は塾にも通っているが、zoomデーも取り入れたりしているし、営業日を増やして分散にもなっているし、時間を少なめの時間にずらしていることもありとくに現状は大丈夫なようだ。

毎年5月にやっていた運動会も10月に実施が決まり、しかも低学年中学年高学年で3分割して正味それぞれ1時間程度で解散。いつもの縦割りクラスごとに点数を競い合うやつは高学年だけで争うことになっているらしい。午前で終わり、お弁当なし、来賓席設置なし。マンモス校のため毎年ものすごい賑わうし炎天下でツライ部分もあったので、個人的には1時間だけふらっと娘の競技を見に立ち寄ってピックアップして帰れるしすごくいいと思ったぞ。そうやって対策をしてくれて小学校への信頼ができました。中止でも私は良かったけどさ。

でも最近気になるのは、下校後のこと。我が家は、お友達と遊ぶのをNGにしている。「社交性が落ちる」と夫は言っているけれど、もし発症したらえらいことにならないか?責任問題が問われるのではないか?毎日外から聞こえてくる、子どもたちが集まって遊んでいる声に私は疑問を感じてしまうのよ。そんなお友達の間でひとりでも発症した場合、信頼関係は破綻しないだろうか…?どうしても、じゃあ遊びにいっていいよ~って言えない。幸い、娘はインドアで遊ぶ(YouTubeやゲームですが)し、ひとりっ子だからそうやってひとりで過ごすのもとくに不満はないようなんですけども。

このコロナ禍からアフターコロナにかけて、この先も、これから関係を構築しようという場合は、そうやって希薄になっていくかもなぁ、リアルの関係は…と思いました。価値観によってだいぶ行動が変わってくるだろうからね。

さて このご時世 この社会でどうやって生きていくか、どう楽しむか、いかに悲観しないでいくか。人間の真価を問われるような気がします。