おむすびの日

おむすびの日

おむすびの日でした。ゴロでもないしなんでかな~と思ったら、由来はこちら。

「おむすびの日」とは、「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」(※2018年に米穀機構へ理念引き継ぎ)が2000年に制定した記念日です。1995年に発生した阪神・淡路大震災で、ボランティアによるおむすびの炊き出しが人々を大いに助けたことから、いつまでもこの善意を忘れないようにと、大震災の起きた1月17日に定められました。

プレスリリース/ニュースリリース配信の共同通信PRWireから引用

阪神・淡路大震災をきっかけとして制定されたものなんですね。

震災の時の「おむすび」の思い出

私は宮城→関東なので、阪神・淡路大震災は経験していませんが、東日本大震災においては実家仙台で在宅非難をしていました。その時のおむすびの思い出を語ります。

娘を産んで1カ月後のことでしたので、実家に建物としてのダメージは少なかったことから、避難所にいくよりこのまま家にいようと思ったのでした。その時は父も健在で、がんの手術から入退院した後で日常生活をしていたので、一緒に在宅避難でした。やっぱり「食」は急務でしたね。電気の復旧は意外と早かったのですが、それまでの数日間は電気がないわけで、炊飯もできません。

従兄にお兄さんが、自分が独り暮らししてるエリアはまだ電気が使えるから…と、炊飯器いっぱいにお米を炊いて届けてくれたときは嬉しかった!あったかいご飯が食べられて感激しました。お米、最高!て思いました。

そのあと電気が復旧してからも、やはり備蓄している食料はそれほど多くなかったし、まだお店はほとんど稼働してなかったのでやりくりすることになりました。お米をたくさん炊いては、母と義姉と私、3人で一生懸命おむすび握りました。味噌つけたりしながら。3人で狭いキッチンで、大人5人分のおむすびを。一時、母乳が出なくなって(栄養不足か精神的なものかは不明)しまった時も、おむすびや、差し入れてもらったチーズ・お水などを頂くうちに、だんだん復活したんだったなぁ。娘は粉ミルクをほとんど飲まない赤ちゃんだったので、死活問題だったのだ。

そんなことがあったからか、今でも朝ごはんのとき、娘に米orパンをセレクトさせると米を選ぶことが多いです。米からもらった母乳で育った我が子。

幼いころの「おむすび」の思い出

もともと、お米好きな私です。おむすびの記憶をさかのぼっていくと、つきあたるのは幼稚園時代。幼稚園はお弁当でしたので、毎日、母のつくってくれるおむすびを持って通っていました。とくに冬は、ストーブ(温風じゃないやつ!なんて言うものなんかわからない…)にアルミホイルで包んだままのおむすびを乗せて少し温めて食べた記憶があります。

「お母さんがつくるおむすび」ってそれだけですぐに口の中で思い出せるくらいに印象づいている食べ物で、いま現在、それを再現しようとしてもなかなかできない不思議!

▼最近の私のおむすび画像。

梅干しが入ったおむすびが好きだった。たまに実家にいくときに「お母さんのおむすび食べたい」ってリクエストしてたことがある。最近はしてないから今度帰省したときにはお願いしてみようかな。シンプルな材料なのに人に寄って味が違うんですよねー!カレーと同じように、その家庭それぞれの味がある不思議なソウルフード!

で、梅干しかな~と思ったら鮭がナンバーワンでした。定番を並べたつもりだけど昆布は人気ないんですねー?(笑)
たしかに鮭おむすびは美味しい!よくコンビニでも梅・鮭のペアで購入しています。

余談ですが、米を食べるとおなかが満足しますね。変な時間におなかがすくことがなくて、安心できます。そして、お米食べると体温があがる気がする。糖質云々だからなんだろうけど、私はどんなにダイエットに取り組むとしても、お米抜くのはできないとわかっているので糖質制限はしません(笑)心も体も安心できないから!