お弁当の記憶たち

実母と週に何度かはLINEをしている。
母はいま、実家で一人暮らし。父が亡くなって先日七回忌を終えたところ。何年経っても「こんな時、お父さんがいれば」と思うことはあるようだけど、徐々に落ち着いてはきているかな。そんな母とも2年ほど、コロナ禍の影響で行き来できなくなってしまった。LINEでも「早く会いたいね」「体調はどう?」とお互いに近況報告しながらなんとか繋がっている。

実際、母とは趣味もあわないし、とくに18歳くらいから(夫と付き合いはじめたくらいからは)価値観のすれ違いで大変な時期もあった。結婚をして離れてから、そして娘ができてから…里帰り出産を経て関係が強まったと思う。母になった自分が、実母の過去の想いをなぞることができるようになった。

私は、母の苦労を全然わかってなかった。母がどんな気持ちでいたのか想像もしてなかった。私にあるのは、ただただ幸せなこども時代の記憶。昔から人見知りでコミュ障こじらせがちだった(近所の子とは仲良かったけど学校が違かったりしたので)けれど、とにかく家庭は明るかった。楽しかった。こども時代は心配ごとなんてなかったし、勉強できないダメな子だったけど家族といるのが好きだった。

それが、少し我が子ともかぶる。コロナ禍だっていうのはあるけど、自分から誰かと遊びたいってめったに言わない。我が家は一つ屋根の下で、家族それぞれに自分の好きなことをするのが好きな家族なのだ。家族がそろっていることが好きなのかもしれない。子ども時代にある程度価値観が形成されるとしたら、私はきっとそうなんだろう。幸せなこども時代のイメージが強くて、私にとって幸せの形ってこれなんだろうな。家族でいるのが楽しい。それぞれ何かやっててもよくて、家族が目につく範囲にいるのが楽しいんだなあ…

母にも、幸せなこども時代をくれてありがとうーと伝えた。
だって、母が反省してるとか言うから!
いま、小学校低学年の甥っ子を毎日放課後に預かっている母なので、かなり甥っ子の育児にかかわっている。そうしながら、あの時我が子にこうしてあげればよかったなとか思うらしい。
いやいや、私は幸せでしたよ。だから私は今も自分の幸せをつくることができるんだよと。

こんな世知辛い世の中でも、幸せになれる方法を教えてくれたのは母。
幸せとは、誰かにもらうものではない。自分の心が感じることであり自分で「なる」ものなのだからね。
きっと、世の中には「幸せを形をしらない」人もたくさんいるんだと思うよ。隣の人がちょっと幸せそうだからって妬んで刺してしまう人もいるんだろう。自分の、自分なりの幸せの形をさがせることがだいじだと思う。

娘にもそう伝えていきたいから、私は楽しく生きてやろう。