君に会いにいく

君に会いにいく

作品名【君に会いにいく】
どんぶらこ どんぶらこ 今すぐ君に会いたいから、遠い海を越えていく。…多分どんなに距離が離れていても、本当に求めている必要なものならば、目指していくことも辛くはないはず。そう信じてる。

人間として魅力的な人

近年、改めて思っているのですが、私が好きになるタイプにはパターンがある。性別も年齢も環境も仕事もすべて関係なしに、【誰かのためにナチュラルに親切な対応ができるひと】。私などは、例えば自分が忙しい時であったりすると、頼まれごとをしたらちょっと後回しにしたり嫌な顔をしてしまうのです。あとから「悪かったな~」と思っても、その時はやっぱりちょっと気を回すことができない。

でも、例えば自分が忙しい時でも、気持ちに余裕がない時でも、誰かに優しくふるまえる人っているんですよね。計算や見返りなんか存在しない、そのきわめて自然な思考回路と勇気ある振る舞いには心ときめかずにはいられません。

私などは、相手が好きな人であっても、親切にできないことなんてあるわけで。

例えば、街中で困っている人に声をかけるとか、バスの中で泣いてる赤ちゃんを全力であやしてみるとか。別に正義の味方、ボランティアではなく、自分が生活している範囲内での思いやり。
できそうでできない。つまり、それができる人は無意識でやっている可能性があるのです。すっごーい!

数多の“ハンサム”たちについて

私の身の回りに、多いです。ひとつは、夫。家族をほめちぎるのもあれですが、長男という立場があったからか、困っていることにすぐ気がついてくれる。多分それは職場でも同じだろうと思う。フォローしてあげている同僚や先輩や上司についての話もよく語られる。「あの人しかたないんだよな~」なんて言いながら、でも放っておくことはできないようです。子どもがとっても好きで、自分の子以外にも、道端で困っていたら助けてあげる、それが普通。

彼はお金にルーズなところや見栄っ張りなところもあるし怒りっぽい性格ではあるのですが、それを差し引いても、手を差し伸べることに躊躇がないところが、素敵だと思う。

友達でも、私が弱っていると声をかけてくれる人や、あれこれ贈り物をしてくれる人、職場にだって、損得関係なく助けてくれる人がいたりする。みんな、どうしてそれを、ナチュラルにできちゃうんだろうな。
心がイケメン。ハンサム。かっこいい。
でもきっと、なぜ?とたずねたら、謙遜して「なにもしてないけど?」なんて言うんだろうなぁ。そういう価値観がどんな時に備わるのだろうか。

思いやり。継承できるか否か

私はそうして都度、感動しながらも、いつかそういう人になりたいと思うわけですが、我が娘には果たしてその価値観は植え付けることができるのだろうか?と悩む。

幼い時分から「やさしく」「おもいやりをもって」というワードを投げつけ続けるのは、よくない気がしています。これって「センス」と同じように、体験からしか身につかないものなのだろうと思うから。そのためにはやはり、一番身近な私が教えていくしかないんだろうな。親子や家族の「無償の愛」を超えて、誰かの優しくできる自分になるように。

つよくてやさしい

こう見えて私も実は、「やさしい人になろう」と思っていた時代がある。でもそれは少し下心があって、「やさしい」と人が集まってくれるから。友達になってくれるから。友達をつくるのが下手で、いじめられっこで生きてきた私にとって、「やさしい」は武器だと思った。「やさしい」で自分を守ろうと思っていたのかな。

でもそれは違った。きっと「やさしい」というのは言い換えれば「強さ」で、胸の底から湧き出てくるものなのだ。付け焼刃ではそれができないのだろうなぁ。

だからね、きっと私が大好きな、思いやりあふれる人たちは、強くて優しい人たちなんだ。だから自分以外の誰かのことを見つけられるんだろう。

自分のことばかり考えている限り、私はそこにたどり着けないのだなぁと、痛感するのでした。