20160310

2月25日、父が他界しました。

がん再発によるもので、年末まではメールができるほどだったのですが、年明けに入院、数週間で退院をしました。退院は「良くなったから」ではなく、「もう長くないから」という理由でした。母と兄はそれを宣告されていましたが本人は自宅要領で快方に向かうと信じていたので「帰ったらカラダを鍛えて…読みたい本を読んで…」など希望を語っていたそうなのですが、急激に弱っていきました。

2月を迎えてすぐに、娘をつれて(もう会えないかもしれないから)帰省して数日で戻りましたが、その時はすでに介護ベッドで寝たきりでした。まだ話ができる状態でした。

2月後半を迎えたある日、実家の母から「お願いだから帰ってきて」と言われて数時間後には実家に。それから数日介護を少しだけ手伝い、最後を看取ることができました。そのときにはもう話もできず意識もほとんどない状態でした。

離れて暮らすってこういうことなのか、と思いました。

後悔はたくさんあるけれど、娘を連れて帰省したときに会話ができてよかった。それから、ほぼ一方的だったけれどいままで話してこなかったようなことを話しました。私がどんなに「しあわせなむすめ」であったかということを。

腫瘍による痛みがすさまじかったようで、ぎりぎりまで痛みと戦いました。だから、私は【長く生きて】ではなく【はやく楽になって】という気持ちでした。

父が残してくれた言葉がいくつかあるのですが、まだ話せるときに「仕事とは、誰かに喜んでもらうためにやるのだ」という内容のことがありまして、それはとても共感できました。

自分の意思をもって、誰かの人生に光をともすような仕事をやっていきたいな。

今年やることは何もまだ決まっていません。父がどこかで見ていてくれるだろうから、喜んでもらえるような作品を描きたいと思っています。